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 弊社で扱っている主なプロダクト香辛料の中に、"山椒"がありますが、"山椒"にまつわるお話を紹介します。 "山椒"は七味唐辛子で有名ですが、若葉・若芽の緑が鮮やかなため日本では他に懐石料理などの彩りとして添えられたり、 吸い口として用いられます。また、佃煮の『木の芽煮』の材料になったり、料理の木の芽和え、『木の芽味噌』に使われ る他、五平餅に塗る甘辛のたれの材料にもなります。 この山椒がひえつき節の中に以下のように歌い込まれていると日本民謡および宮崎県民謡は紹介しています。
まず、歌詞を見ないで聞いて下さい。(曲は歌詞1節、2節、4節、6節の計4節が歌われています。)

どうです? 歌の意味を理解できましたか? --> 歌詞を見る。



























この歌は歌詞を見ないで聞くと、歌詞をのばす部分と切る部分が特殊なため、日本語としてわかりずらいのですが、 意味を理解すると、とてもロマンティックな悲恋の物語が歌い込まれているのがわかります。
これは源氏の那須大八と平家の鶴富姫のとても悲しい恋の物語として、宮崎県の椎葉村に伝わっている逸話です。
  皆さんご存知のように約800年ほど前、壇ノ浦で那須与一が平家がかかげる扇の日の丸を見事射落としたことは 日本人の誰もが知っているとおりです。その後源氏は壇ノ浦で大勝し、そのため平家の残党は深い山里へ逃げ、一部は 九州宮崎県と熊本県の県境に近い山奥の椎葉村へたどり着きました。彼らは農耕生活をしながらひっそりと暮らしてお りましたが、鎌倉はこの隠れ里を知り、那須与一宗高に追討の命を下します。しかし、当時病だった与一にかわり、弟 の大八郎宗久が椎葉に向かいましたが、椎葉での平家の落人のつつましい生活見て、平家追討を断念し、自らも大自然 の中で平家の人々と協力しながら住むことを決意しました。そして、そこで出会った平家の姫君鶴富と恋に落ち、しば らく幸福に暮らしているうち鶴富との間に子供をもうけました。
しかしそんな折、大八郎に鎌倉への帰還命令が届きます。大八郎は仇敵平家の姫を連れて行く訳にもいかず、なくなく 別れの決意をし、鶴富に"天国丸"という名刀を与え、「この子が男子なら我が故郷下野(しもつけ)の国へ、 女子ならここで育てよ。」と言い残して、断腸の思いで鎌倉へ帰って行きました。
  「ひえつき節」の@とAが二人の幸せな恋の時期を、Bが大八郎に鎌倉への帰還命令を受けた時を、そしてCとD が二人の悲しい別れの時を歌っています。このような事情を知らないで聞いていた「ひえつき節」と、この物語を知っ た後に聞く「ひえつき節」がまったく違うように感じるのは私だけでしょうか。
  「山椒」の裏にはこのようなロマンスがあるとは...とロマンティックな気分でいると、推理小説も及ばない、そ れを覆す大きな事実がある事を知る人は少ないと思います。実は「ひえつき節」@の中では「さんしょう」とは歌って いません。「さんしゅー」と歌われています。では「サンシュユの木」というのがあるのかというと、あるのです。 「サンシュユの木」は1772年(江戸時代)に薬用として中国から日本へ渡来しました。と紹介すると、「鎌倉時代 にはサンシュユの木はないはずだから、やはり山椒じゃないの?」と反論が来そうです。
でも現在歌われている「ひえつき節」の歌詞は、実は、昭和初期に酒井繁一氏が、椎葉に伝わる大八と鶴富姫の悲恋物 語を題材にして創作されたものであると知っていますか。これだと「サンシュユの木」の可能性が大なのです。
  せっかくロマンチックな気分だったのに、なんだかがっかりと思う必要はありません。「サンシュユの木」であろうと 「山椒」であろうと、大八と鶴富姫のロマンスは常に我々の感傷にうったえ、いっこうに色あせることはないのです。