
鶏肉を卵でとじた丼を親子丼、豚肉を卵でとじたのを他人丼、牛肉をとじたのを牛丼、何もとじないで卵のみのを卵丼と呼ぶのは、日本人であれば誰もが知っていることです。明治時代にこの牛丼のことを関東では開化丼と呼んでいました。どうしてそんな名前が付いたかと言うと、もちろんご想像のとおり、明治になると、西洋の制度や技術、ものの考え方や生活の仕方等がさかんに紹介されました。東京、大阪、横浜などでは、髷を切って洋服を着る人や、牛肉を食べる人が増えてきましたが、でも最初から日本人が喜んで肉を食べたわけではありません。
日本では仏教の影響もあって、『日本書紀』天武5年(675年)4月17日のいわゆる肉食禁止の詔(牛・馬・犬・ニワトリ・猿の五畜の肉食を禁止)以後、明治5年(1872年)の肉食禁止令解禁まで、ほとんど肉食をする習慣がありませんでした。
(ただ山中での狩による獲物は食べられていました。)ですから文明開化だといって肉食は簡単に普及したわけではありません。明治初期に中川屋嘉兵衛という人が福沢諭吉に「これからは誰もが牛肉を食べる時代になる」と勧められて、横浜の元町に外国人向けの牛肉屋を開きましたが、牛を1頭屠殺するにも、青竹を四本立てて御幣を結び、しめ縄を張りめぐらして処理をし、肉を取った後は骨も内蔵も土に埋めてお経をあげたといわれております。
このような状況ですから、そう簡単に国民には広がりませんでした。そこで明治政府が考えたのが、文明開化のため明治天皇に率先して肉を食べていただこうと言うことになりました。明治天皇は肉がお嫌いでしたが、西洋人のお客様と会食する機会も多くて肉を食べなわけにもいかず、泣く泣く肉を食べて国民に範を示されました。

この時期と同時に日本にパンが登場しましたが、これも最初ほとんど売れず、江戸時代後期の武士であった木村安兵衛(パンの木村屋總本の開祖)はパン屋を開きましたが、パンそのものはほとんど味が無いため買う人もあまりいなかったようです。しかし、パンは洋食を取り入れていた海軍兵学校の軍隊食として採用され、また、木村安兵衛が饅頭にヒントを得て小豆餡をパン生地でくるみ、発酵に酒種酵母を使用した「あんパン(酒種あんぱん)」を開発してからは店も繁盛したそうです。1874年(明治7年)に販売を開始すると反響を呼び、翌1875年(明治8年)には山岡鉄舟の仲介で明治天皇に献上され、明治天皇はこのアンパンとアイスクリームが大好きだったそうです。
ところで明治天皇は二人いる事を知っていますか?明治天皇として良く知られている方は東京明治天皇、もう一方を京都明治天皇と呼びます。
京都明治天皇は、幕末時暗殺されたと伝えられる孝明天皇の子息睦仁親王です。孝明天皇は歴史上では疱瘡による病死となっていますが、実際は毒殺あるいは槍による刺殺と言われており、また京都明治天皇(息睦仁親王)も倒幕派によって1867年(慶応3年)に暗殺されてしまったようです。京都明治天皇の皇后は一条美子(はるこ)皇后ですが、明治時代、彼女は「昭憲皇太后」という尊称になっており、これは「天皇の母」や「先帝の后妃」に付けられる尊称です。史実と違って実は昭和天皇は明治天皇の子供のようで、母は柳原愛子という女性で明治天皇にとっての本来の「皇后」です。短命だったとは言え「睦仁親王」は孝明天皇より皇位を継承した「先帝」です。その先帝の妻だったからこそ「皇太后」なのです。
東京明治天皇は
倒幕派(岩倉具視や西郷隆盛、木戸孝允等)が準備した天皇家南朝の流れをくむ大室寅之祐という長州出身の若者です。長州藩の中忍(忍者)であった吉田松蔭が、大室弥兵衛の長男であった寅之祐を南朝革命の『玉』として世に出すため、下忍の伊藤俊輔(博文)に早くからもり役を命じていたといわれており、明治政府が成立した時は既に彼が天皇として迎えられたようです。ですから、あんパンとアイスクリームが好きなのは東京明治天皇の方です。
幕末の時代は西郷隆盛(#注)、木戸孝允、勝海舟、吉田松蔭、坂本竜馬、高杉晋作、新撰組等々の偉人が活躍する、歴史の好きな人なら誰もが興味津津の時代ですが、まだまだ謎はすべて解明されておりません。また、西郷隆盛の名前を知っていても何をした人か知らない日本人もたくさん増えてしまった現在、皆さんに司馬遼太郎の一連のシリーズ『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『坂の上の雲』の読書をお勧めします。この3つのシリーズで幕末から明治の中期までの状況と、各偉人がどのようなことをやったのかが良く理解できます。それらを背景とし、二人の明治天皇がどのように係ってくるのかも興味が尽きません。孝明天皇の暗殺、二人の明治天皇等については数多くのホームページサイトがありますので、ここでは詳細を省き、ホームページアドレスの紹介のみに留めますが、興味のある方は下記のホームページを覗いてみてください。(公表された歴史にない、驚愕する隠された歴史のどこまでが本当なのかは、読者の皆さんの判断に任せます。)
(#注) 世に「
西郷隆盛」として知られている西郷参議の本当の名前は「西郷隆永」で、「隆盛」は亡父吉兵衛の名乗りであった
のを、同藩の同士の吉井友実が間違えて新政府に登録してしまった名前である。同様に明治政府の重鎮となった弟の「西郷隆道」も発音の聞き間違いで「西郷従道」と登録されてしまった。自分の名前などどうも良いという桁外れなところが、この兄弟にはあったようです。
明治天皇は暗殺されていた!!(その1) :
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/nanboku4.html
明治天皇は暗殺されていた!!(その2):
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/nanboku4-3.html